編集者はミスのある場所に自然と目が行くらしい。ってホント?

今日は2月22日、ニャンニャンニャンの日です。

って、それはさておき。21日の日経朝刊「迫真」によると、日本航空の稲盛和夫名誉会長は、おかしな数字に自然と目が行くらしいです。

「それにしても、何であんな細かい数字を見つけられるのですか?」
「おかしなところはな、向こうから数字が飛び込んでくるんや」
(日本経済新聞2012/2/21朝刊2面「迫真―これが経営か」より引用)

日本を代表する偉大な経営者と、私のようなへっぽこ編集者を同列にしたら申し訳ないのですが、そのあとに続くパイロットの言葉にもあるように、実は編集者でも同様の経験はするのです。

前から不思議だとは思っていたのですが、たまたま目が行った場所にミスがあったりするのです。

正直に言いますと、校正のとき、頭からバカ正直に見ているわけではありません。後ろの段階に進めば進むほど、読まなくなります。つまり、文字の誤りは終盤に近づくほど見つけにくくなるのです。

原稿の段階や初校では、つぶさに読んだりしますから文字の誤りはどんどん正されていきますが、それでも残るものは残ります。取りきれなかったものが、最後の最後でもまだ残っているという状態になります。

そういうのは一般的に数が多くないので、たまたま見た場所にドンピシャでいることは確率的に低いのですが、なぜかヒットすることが多いのです。

姿見校正といいまして、全体を眺める程度にスピードを優先して行うものがあります。こういうときはほとんど読んでなどいませんが、たまたま一休みしたページで、たまたま目を向けた場所にミスがあったら、「うは~」となります。

俺ってすごくね?とか。笑

稲盛名誉会長の話とはずれているかも知れませんが、何事も年季を積んでくると、理屈では説明できないものが頭の中に育ってくるのだなぁ、と考えたお話でした。

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