ここにきて年金制度を巡る議論が熱くなってきた。年金支給開始年齢を70歳に遅延させる厚生労働大臣発言や、6月3日に厚生労働省が将来の年金制度について見通しを発表したことで、これについての報道が目立つようになったこともある。
ブログ主は、年金制度は段階的に縮小、いずれは廃止してもいいのでは?と思っている。
そもそも年金制度は、大戦中の戦費を補うために考え出されたものと聞いている。これが制度として戦後も続いている。当時は平均寿命も短く、人口構成もピラミッド型に近かったため、制度として無理なく運用できていたのだろう。戦後の高度経済成長も、制度の維持に貢献したのだろう。
しかし人口構成が変わり人口は減少傾向、経済成長も鈍化となるとそうもいっていられない。増え続ける高齢者を減り続ける現役層が支えるという構造になる。相対的に負担が増えるのは当たり前である。経済面での後押しもない。
高知在住のプロブロガー、イケダハヤト氏が面白いことを書いている。面白い、なんて言っちゃ失礼だけど。年金を受け取らずに働き、受け取らない分の税免除などの特典を受けられる、という提案には説得力がある。単に年金を受け取らないだけなら損に思う人も多いだろうが、これならインセンティブが働く。
年金受給者が「非国民」として蔑まれる未来が来てもおかしくない : まだ東京で消耗してるの?
思うのは、「一生働く覚悟で生きなければならない」ということだろうなぁ。60歳ないし65歳で現役引退し、あとは退職金を含む金融資産と年金で悠々自適、なんて生き方はは今の逃げ切り世代が最後なのだ。そもそもこの発想は勤め人が勤労者の標準だという考え方で、自営やフリーの人には関係ないのだ。ブログ主が果たして一生働けるかということはわからない。今のスキルが将来も有効とは、まったく思えないからだ。
ブログ主も一度退職金をもらっている立場だが、今の仕事で退職金をもらえる保障はまったくない。今の資産と、これから得られる収入で死ぬまで食べていくことになる。そう考えると、将来が不安な年金制度のために毎月かなりの額を持って行かれるより、それを貯蓄するなり運用するなりで自分で備えるという選択肢を提示してくれた方が健全だ。すでに払い込んだ分は、それに見合った金額を将来受け取れるようにしてそろばん勘定を合わせればよいのだ。
こんな、過激とも取れる提案というか提言もある。とっくに破綻しているというのには同意。ただすべてを消費税で賄うなどの大ナタに踏み切れる政治家も官僚もいないだろう。何しろ、当の国民が望んでいないのだから。
NEVADAブログ:既に破たんしている年金システムと国民金融資産
それなりのセーフティネットは必要になる。それは生活保護を縮小したものになるかも知れない。ひとつ言えるのは、現金をばらまくやり方では、年金制度を廃止した意味がなくなる可能性は高いということだ。
厚生労働省の優秀な官僚には、さまざまなケースを想定した将来の試算などにエネルギーを消費するよりは、問題を抜本的に解決する意気込みでの熱の入ったプランに期待したいものだ。もちろん、我々がそういう大事なことに無関心でいることが、もっとも罪なのだが。
そもそも、「年金をもらえる」という表現そのものに違和感があるのだが、ブログ主は。読者諸氏は、どのように考えられるだろうか?
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