男性諸君、マタニティマークを知っているだろうか? こういうのが出てからだいぶ経つので、「知ってるよ!」という人がほとんどだろう。もちろん、ブログ主も知っている。だから、乗り物内では、このマークをつけている女性を見たら、三人の子持ちとして席を譲るように心掛けている(もちろん着席中の場合に限るが)。
しかし、今日は失敗してしまった。なんとも悪いことをしてしまった。謝るしかない感じだ。だが、プラマイゼロともいうことができる。果たしてどのように思われるだろうか?
ちなみにこのマーク、厚生労働省のサイトからダウンロードして使える。この投稿も、同省のサイトからダウンロードした画像を使っている。
経過はこうだ。
通勤電車の中、ブログ主の前の席が空いたので座らせてもらった。すると、目の前に、女性が移動してきた。見るに、普通のルックスの女性。例のマークは目に入らないし、たまたまかな、と思って本を読んでいた。
そうこうするうちに、隣の駅。少し空いたので、その女性は車両の端っこに移動した。そして、夫婦と思われる別の男女が目の前に。女性のほうに目をやると、例のマークが。男性は、「荷物持とうか?」とか声を掛けていたので、そのまま席を立って女性に席を譲る。女性、軽く会釈して席に座る。
ブログ主は、そのまま立っていたが、なんだか視線を感じる。恐る恐る視線の方を向くと、先ほどの女性がこっちをじっと見ている。そして、おもむろに体を45度ほどこちらに向けて、ぐっとバッグを突き出すような角度になった。
あ゛〜っ!
思わず声をあげそうになった。その女性のバッグには、例のマークが。なんで気づかなかったんだろ…。でもよく見ると、幼稚園児が着ける名札のような、花のような形の中に例のマークが入っている。こういうのは丸いバッジ状のものだ!という先入観があるからなのか、視覚的には捉えても脳みそがスルーしたのか?
その女性からすれば、座ったばかりのブログ主が、このマークを認識させやすかったのだろう。この時になれば、わざわざ目の前に来た理由がわかる。
認識はしても、すでに立っているブログ主にはどうしようもない。二番目の女性はすでに座って本を読んでいるし(スマホをいじくっていないのがミソ)、立てというわけにもいかない。なんとも気まずい状態のまま、数駅が過ぎた。その間、かすかに視線を感じつつ(被害妄想?)、ビクビクし続けた小心者がブログ主。
そして、その女性は降りて行った。ブログ主の後ろを通り過ぎるような感じになったが、思いっきり押されたのは気のせいか。でも、その女性からすれば、「なんで私に譲らないのよ!」「私の方が先だったのに!」だったろう。駅数からすれば数駅だが、そういう問題ではないのだろう。
でも、ブログ主は立ったが、その他の人は座っていたわけで…。おばさんは「妊娠なんて病気じゃないから!私の若い頃は…」などと思っていたかもしれないし、おじさんは「俺だって疲れているんだよ…」と思っていたかもしれない。どつくならそっちをどついてくれよ、と思いたくもなる。
しかし、このマーク、個人的には微妙だ。妊婦さんに譲るのはまったく問題ないんだが、印籠のように扱われるのものなぁ…。中には妊娠もしていないのに、フェイクでこれを着ける女性もいると聞くし、難しい問題だと思うが、どうだろうか。
コメント
こんにちは!
電車の席を譲るというのは、難しいですね。
特に、妊婦さんは、臨月近くないと分からなかったりしますよね。
電車にはとりあえず立って乗る、という方法もありますが、
疲れていたら、それもなかなかです。
電車については、優先座席のほかに女性車輌とか、いろいろあって、
大阪などでは女性車輌への男性乗車率が関東より高いのでは?
と思われるふしがあります。わざと乗る人もいるという話です。
関東のほうが、厳しいというか、うるさいように思いますが、
そういう社会のほうが大きくみると、正しく廻るという意味で、
良いのではないかと思います。
少し話がずれてしまいましたが、主張できる社会は、いい、ということで、
その女性の態度を評価しつつ、でも、気が付かなかったのですし、悪くないわけで、
気にしないで、明日に向かって生きていきましょうね。
こんにちは、いつもありがとうございます。m(_ _)m
妊婦さんかどうか?単に恰幅の良いだけの女性なのか?という面倒を避けるために立っているという選択肢もあるんですけど、週末近くの帰りなんかは特に疲れていて、空けば座りたいですね。
単に歳とってきた、とも言えますけどね。
女性専用車両は、間違えて乗る以外は乗りません(当たり前ですが)。こっちでは、確信犯で乗る人もあまり見ません(気づいたおじさんは、気まずそうに退散します)。関西では、けっこうあるんですねぇ。
主張できる社会、確かにそういう考え方もありますね。その女性は、自分のアドバンテージを主張しただけ、という見方もできます。それを攻撃のように捉えてしまうのは、考え方の基準が違うんでしょうね。
最近、そう思うことも多くなってきたので、こういうことはやっぱり議論しておきたいなぁ、と思います。