卒業式に思う

世の中は卒業式のシーズンだ。新しい進路へ向かって、古巣に別れを告げて旅立つ若者を見ているとすがすがしいものだ。奇しくも、卒業式に参列する機会に恵まれた。私的には、相当昔に済んでしまったことだが。

改めて思うのは、「形式的なものはいい。」ということだ。そう書くと、形式より実質と反発を招きそうだが、誤解がないように書くと、「形式に則るべきものは、徹底すればすごくすがすがしい。」ということだ。式という名のつくもの、入学式、入社式、結婚式、葬式、すべて形式に則るのが望ましい。いや、形式に則ることに価値がある、と言い切ってしまってもいいだろう。

形式に則り、礼を尽くし、行動する卒業生などを見ているとすがすがしい。それを受けて、きちんと礼を返す側も、見ていてすがすがしい。すべてが形式として定められた中で、淀みなく流れていくというのは、改めて目の当たりにすれば、素晴らしくすがすがしい感じを与えるものだ。変に堅苦しいというのではない、いい意味で張りつめた雰囲気、好きである。

形式的なものは、変におちゃらけたりせず、徹底的にやって欲しいものだ。

最近は、式の中でも創作性ということで、卒業生がクラスごとに考えた演出で、先生にお礼を述べたり、思い出を語ったり、いろいろな試みが行われるようになってきているようで、これはこれで大いに式を盛り上げる要素があり、好ましいものだ。感極まって泣き出す女生徒を見ていると、釣られて泣き出す母親もいたりで、こういうのもいいものだとも思ってしまう。

形式的なものと、創造的なものの折衷とでもいうのだろうか。式自体はおかげで2時間を超える長丁場だったが、送る側も、送られる側も、忘れられないものになるだろう。

だが、いいことばかりではないのも事実で、イデオロギー的な問題を式に持ち込んだり、参列する側のマナーがなってないなど、見たり聞いたりして腹の立つことも多いが、主役を差し置き脇役がとやかく言う問題ではないだろう。

世の大人も、下手すれば長らく係わりのなくなってしまうこういう場に、意識的に参加してみてもよいのではないのかな?特に父親諸君。

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