煙たい話で炎上覚悟―文句を言う筋合いじゃない!けど…?

ブログをはじめてしばらく経ったときに、ある人にこうアドバイスされた。「アクセスを伸ばしたければ、政治と喫煙の話はやめたほうがいい。」どういう意味かな?と思ったが、すぐに理由はわかった。そう、どう書いても敵を作るのだ。

敵となれば、わざわざ見に来ることもなくなる、ということ(中には、嫌がらせに来る人もいるかも知れないが。それでもアクセスアップになってしまうね)。見に来る人が減れば、アクセスもダウン。そんな理屈だ。

それをわかって、いくつかのエントリは書いている。さすがに、無色透明、中道中立の内容ばかりということになると、単なるインストール記ばかりになってしまう。個人がせっかく書くのだから、一定の主張なり意味のあるものにしないと、書いている意味がない。

前振りが長くなってしまったが、今回はそんなお話。政治や喫煙関係のお話はイヤ!という人は、この先に進まない方がいいですぜ。

今日の昼食のときのこと。朝からの長い会議が終わり、午後は本来の編集業務に集中できる見込みだったので、たまには落ち着いた昼食を採って気力を充実させよう、と思い立つ。そこで、お気に入りの中華料理屋さんへGo!

時間は午後2時頃。会議が延びたので仕方ないのだが、このお店は2時以降は喫煙OKになる。とはいえ、店も空いている上に遭遇率も経験上低いので、あまり気にせずに出掛ける。いつもの定食を注文。お店の人の気持ちよい対応から始まって、充実した食事のはず、だった。

店内には私の他に1人。その人も食べ終わって出て行くというタイミングで、入れ替わりに4人組の男女参上。彼らは、ドヤドヤと私の隣のテーブルに陣取った。う~む、イヤな予感。

女性の1人が着席するなり、「灰皿ください!」と来た。イヤな予感は的中、しかも4人中3人がスモーカー。私は席を変えてもらおうかと思ったが、もう半分ほど食べ終わっていたし、店員さんも物陰にいて声を掛けづらかったので、そのまま食事を続けることに。

ここで思うことひとつ。このお店はテーブルが6個ほどあるので、わざわざ私の隣のテーブル(入口近くの端っこ)に陣取らなくてもいいのでは?ということ。喫煙する自覚があれば、せめてテーブルを1個挟むとか、そういうことは考えないのかな、ということ。

4人組の1人は吸わない人だそうで、「タバコ吸うと肺が真っ黒になると言いますよ?」と臨床に基づいた意見(かな?)を述べると、「大丈夫大丈夫!排気ガスが大丈夫なんだからタバコなんか何ともないって!」との返答。そのあと、喫煙者と一緒にゲームすると頭が痛くなるとか、もろもろおっしゃっていたが、そう思っているならなぜ一緒に行動するのかな?という疑問。

まぁ職場の人間関係(おそらく同じ職場でしょう)もあるだろうから、ボクだけイヤ!などと言ったら仲間はんごにされるか、下手すれば評価にも影響が出るだろう。これは私も、経験上わかる。だから、行動をともにしても一応の意見は言う、その姿勢は褒められる(かな?)。

私と言えば、3人分の紫煙が漂う中の食事では、うまかろうはずがないから、ピッチを上げて、さっさと食事を終えて、会計して退散。なぜ文句を言わないのか?直接言った方がいいのでは?という言葉がかかるのは当然。

そのお店は、2時以降は喫煙可と謳っているので、店側に文句を言う筋合いはないということ。また、吸っている側にもまったく以て非はない。すると、悪いのはそういう時間帯と知っていてのこのこ出掛けていった私だけ、ということになる。これが公平な見方。

だけど!私としては、そういう決まり事が、有利な場合だけ彼らに働くというのはおかしいと思っている。たとえば、港区では路上喫煙は禁止されているが、そんなのを守っている人は基本的にいないし(私感)、私の勤務するビルのエントランス付近でも、喫煙はダメとなっているのにやはり吸う人は吸う。

彼らが、そういった決まり事を守った上で、吸えるというお店で吸うことに文句を言う筋合いはない。だけどそうである保証はないし、確かめようもないし、そもそも確かめる気もない。個人的には、他人の迷惑にならなければ、そう、これが重要なのだ。他人の迷惑にならなければ、別に路上喫煙しようが、ビルの根元の隅っこで喫煙しようが、いいと思っている。

だが、他人の迷惑にならない、という基本を外しているので、たとえ彼らにとって正当であろうが気持ちよく受け入れられない私がいるのだ。テーブルを離すとか、一声賭けるとか、そんなことでいいのだ。自分たちが他人もいるスペースで喫煙する、という行為の意味をきちんと認識しているかどうかなのだ。

ここまで書いてきて思ったのだが、唯一の非喫煙者の彼に対する言動を思い出すと、彼らは確信犯で私の隣に陣取ったのではないかと思えてきた。非喫煙者が、脇で喫煙されて不愉快そうな態度を取ったり、私のように慌てて食べ始める者を見て楽しんでいるような、そんなことを思えてきた。

もちろん、こう思っては性悪だろうし、そんなことは彼らも考えていなかったと思う。おそらく、無意識の言動なのだと思う。これだけ、喫煙に対するイメージが悪化している社会で、まだあんな彼らが残っているのが正直驚きだが、どんなものでもそうだが一定の率でそういう人も残るのだろう。

最近、居住するマンションで、喫煙の害が話題になった。何しろ、非常階段が灰皿のようになっているのだ。山積みの灰、吸い殻。もみ消したあとの黒ずみ。おそらく、非常階段で腰掛けるかして喫煙し、そのまま廃棄しているのだと思われるが、セキュリティロックのあるマンションの性質上、外部の人間ということも考えにくい。高層階でも発見されているし。

おそらく、新しく入居してきた人が、それまでの常識や価値観で同じ行動をとったら、それがマンションのルールに合わなかったということなのだと思っている(そもそも共有部で喫煙を許可しているようなところはないと思うが)。その問題は、貼り紙をすることでなくなったように見えるが、ベランダ喫煙は相変わらずだし、駐車場で車庫出しの間ピカプカやって、そのまま排水路へポイ!というのはなくなっていない。

話が長くなってしまったが、彼らは自分たちの正当性ばかりを主張するばかりで、対向する人たちへの配慮は微塵もないんだな、と思うのである。これは何も喫煙に限った話ではなく、電車内のバッグやトランク、スーツケースの類、果てはスマホやタブレットなど。

いちいち腹を立てたり、気にしたり、こんなエントリを投稿していては長生きできませんよ、と4人組み(3人か)に言われそうなのである。でも彼らも単独ならこんな行動は採りにくいと思うのである。このへんに秘密がありそうな気がするのだが…。

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