求めよ、されば授けられん。

nikkeibo.jpの「ガ島通信」を読んで。
忘れてはいけない、マスコミも営利企業なのだ。中には株式を公開しているところもあり、広告収入を得て、利益を出すことを事業の核としている。営利企業として、より大きな売り上げと利益を出すためには、視聴率や発刊部数を稼ぎ出し、出稿料金を高くキープすることが必要だ。こういう原則に立って、今のマスコミの報道姿勢を見てみるとどうか。

何のことはない、彼らはこういう原則に忠実に行動しているだけなのである。視聴率を上げる、発刊部数を増やす(厳密には実売部数を上げる)ためには、それはできるだけ多くの視聴者を自らのチャンネルなどに縛り付けておく必要があり、書店や売店で手にとってもらいレジに向かってもらう必要がある。このとき、視聴者や読者をそういう行動に向かわせるには、とにかく多くのターゲットに共通する感情や欲求に沿った情報、すなわち広い範囲でのシンパシーを得るようなものでなくてはならない。

たとえば今回の尼崎の鉄道事故では、なぜ事故が起こってしまったかという構造的な問題、どうしたら今後このような事故が発生しないようにできるかというを解決してもらうよりは、とかく他人の同情をひきやすい被害者遺族の話や、スキャンダルめいた話の方が手っ取り早く関心を惹きやすい。しかも、できるだけシンプルなものがいい。複合的な条件が重なって最悪の結果を招いたというような、どこか一カ所に原因を求めることができないことについては、見聞きする方も満足を得にくいし、それは結果として視聴者離れ、読者離れを起こしてしまう。これでは視聴率は稼げないし、部数も落ちるのである。

私にはわかるが、これは経営層に近い部分ほど恐れる状況である。誤解のないように言っておくが、私はこういう状況がしかたないと思うことはあれ、決していいとは思っていない。少なくとも、現場に近づけば志のあるカメラマン、記者、編集者、ライターなど、たくさんいるはずである。だが残念ながら、もっと本質的な報道を!と思うようなものは数字が稼げないとして、中間層で跳ねられてしまうのである。結果、数字を稼ぐのに都合のいいものだけが残る。あるいは、最初からそういうものしか造らなくなる。これが現状だろう。

しかし私は、マスコミを弁護するつもりもないが、攻撃するつもりもない。求めるべき者がいるから、そこに与えるという基本原則があるからだ。我々の中に、満足感を簡単に得たい心や、本質へ迫る行動をあえて避けるという姿勢がある限り、これは変わらない。私たち自身の中で、報道に何を求めるのか、向き合ってみる必要があるだろう。

コメント

  1. ココフラッシュにマスコミ批評カテゴリーがついに登場。

     みなさんご協力ありがとうございました。10サイトを突破しついに「マスコミ批評」

  2. 黒くないカラス より:

    マスコミが企業である以上収益が目的である、という見立てはよく分かりますが、収益のためにはなにをやっても仕方がない、というのであれば、それはJR西が収益を上げるために速度違反ギリギリの運転を日常で行っていた事も仕方がないことになってしまいます。
    遅延を嫌うのはJR幹部と同時に利用者である我々でもあるのです。
    JR西が交通システムとしての安全を確保しなければならないように、マスコミには報道機関として公正さと歪曲の無い報道を堅持する義務があります。この義務が果たされて初めて正当な利益が発生するのであり、報道の宝刀「知る権利と表現の自由」も、この義務が果たされて初めて主張できるものであるはずです。今の報道機関にこの言葉を言える資格があるのか、甚だ疑問です。

  3. なおさん より:

    黒くないカラスさん、コメントありがとうございます。仰せの通り、収益のためには何をやってもいい訳ではありません。最低限、法を犯さないこと、また社会倫理に触れない行動をすることが必要です。また最も重要なこととして、他人の身体や財産を危機にさらさないこと、これは改めて言う必要もなく、社会生活を営む上で個人と集団が守らなければならない、最低限のルールでしょう。
    そういう意味で、マスコミの報道とJR西日本の問題は、切り離して考えるべきと思います。こう書くと、直接人命に手を下すことのないマスコミは気楽じゃないかと思われる節もあるかも知れませんが、事実そうです。そう言うグレーな部分がある故に、自らの裁量で姿勢や態度を状況に応じて変えられる、今のような状況があるものと思います。
    私が言いたいのは、実はこういうことではなくて、マスコミにいろいろあるのはわかっているからあえて書きたくなく、需要と供給というバランスで成り立っている今の報道というものの責任の一端を、視聴者である我々も若干は持っているのではないかということです。私自身は、社会面を飾るような事件が起きた際に、それを掘り下げて細部にわたり記事にするような週刊誌に嫌気が差して、それ以来読んでいません。ですが、大半の人はその記事が面白く、引き続き読んでいるかも知れないでしょう?
    そういう意味では、ここまで書いていて思いましたが、情報を供給する側に自浄作用がなければ、周囲すなわち買い手の側から拒否反応を示していく必要があるのかも知れません。
    ちなみに、公正な報道、歪曲のない報道、そういうのは有り得ないと思っています。人が介在する以上。それは理想で、近づける必要があるとは思いますが、それよりは複数ある報道機関のいずれもが同じ方向を向いていることが問題ではないかと思うのです。事実は一個でも見方は千差万別であり、それをおのおのがそれぞれの視点で発信していく、そういう状態が正常ではないかと思うのです。

  4. 虚心坦懐

     JR西日本での脱線転覆事故に端を発した一連の不祥事に関する報道に対して虚心坦懐なにごとも思ったことをこれまで書き込んできました。ここに至って、なにもそこまで言う必要があるのか?と思われるようなことまでもが記事となっているような気がする。日本国民みんな……

  5. mutter より:

    尻馬に乗るな

    理系白書ブログからの受け売りでありますが「尻馬に乗るな」のご意見には賛成です。

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