想像力というもの

この記事は、あるサイトに昔投稿しようとして書いたものだが、最近のいろいろな事件を見聞きするつれ、この記事原稿の存在を思い出し、こちらに載せてみようと思った。ほとんど手は加えていない、ほぼ6年前の原稿である。何も変わってないのかな、と思う次第である。

私の住む街は、坂の多い街だ。というよりこの地域が非常に起伏の富んだ地形なのだが、とにかくアップ・ダウンが激しい。私はもう慣れっこになってしまったが、初めてこの街に来た人は、上り坂に息を切らせているほどだ。

だからというわけではないだろうが、この街もご多分に漏れず自転車の利用が多い。坂が多いと自転車は不利なんじゃないかと思うだろうが、実際そうで、上り坂を手で押している人はよく見かける。自転車の利用が多いのは、新興住宅地の常、交通の便の悪い地区に居住している人が多いからだろう。

自転車乗りのマナーの悪さは今に始まったことではないが、いわゆるマナーとは異質なものを感じたのでこれを書いている。先ほど坂が多いと書いたが、下り坂では自転車は非常に楽な乗り物である(当たり前だ)。誰もが重力の法則に逆らうことなく、楽に坂を下っている。

けっこう急な勾配なので、距離を走っているとスピードが出てしまう。適当なところでブレーキをかけて速度を落とせばいいのだろうが、それをしない輩もいる。脇を猛スピードで通過されてびっくりすることがある。先日も、子らといっしょに坂を下って自宅へ向かう途中、ちょうど我々の歩いている真ん中を猛スピードの自転車が通過し、思わずヒヤリとした。
ふつうだったら危ねぇなぁ、で済むのだろうが、一歩間違えば人身事故である。自転車といえども、何十キロも速度が出ていれば、その破壊力は凄いものがある。当人は隙間を縫ってうまく走っているつもりなのだろうが、路上の人は止まっているわけではない。1秒後に目の前に出てくる可能性はゼロではない。

歩行者の方も気を付けてよ、というのが自転車乗りの理屈だろうが、あなた方は許可されている歩道以外を走ってはいけないことに気付いていない。自転車は道路交通法では車両扱いで、車道を走ることを原則として義務付けられているのだ。

ちょっと脇道に逸れたが、自分のこの先進む方向に何があり、何が起きるのかと言うことを想像する力。これがこういうタイプの人には欠落しているのではないだろうか? 猛スピードで走る自分の前に幼児が出てきたら。それにぶつかってしまったら。その後何が起きるのか?「一瞬でこんな想像する馬鹿はいねーよ!」となじられそうだが、普段からの思考パターンがこういうときに咄嗟に現れることは、否定できないだろう。

最近思うのは、何かをしでかした後で、「何でこんなことをしでかしてしまったんだろう?」というようなことがあまりに多いということである。この人たちには、あることをしでかした後に、自分に待ち受けているものを想像する力が欠落していたのだと思う。

逆に、想像を放棄してしまっている人もいる。すべてに確実性を求めるあまり、すでに起きていること、すでに終わってしまっているものにしか興味を示さない。未来に起きることは不確実なので、最初から関わらない。常に現在に生きており、未来を想像することは面倒で、考えてもしようがないと思っている。確かに未来は不確実で、だからこそ思考しなければならないと思うのだが。

コメント