危険な話―広瀬隆

ここのところ、古い本ばかり読んでいる。古い本に書かれていることは、現在進行形ではない。よって、当時に書かれたことを、現代に検証することができる。今回読んでいる本も、そんな位置付けだ。広瀬隆氏の「危険な話」である。

Kikennahanashi  八月書館版。

今を去ること20年以上前、1986年の4月に、当時のソビエト連邦のウクライナ地方(今のウクライナ共和国)のチェルノブイリにて、原子力発電所が爆発を起こしたという事故が起きた。このことを記憶に留めているのは、もはや40代以上の人間になりつつあるだろう。私も20過ぎの頃、この事故のことをリアルタイムで知ったほどだ。この事故の話が、この本のベースになっている。

本の内容とは逸れるが、1999年の9月に、あの東海村のJCO臨界事故が発生した。東海村とは、茨城県那珂郡東海村のことで、水戸市の北方、東京にも近い茨城県では2個ある村のうちのひとつである。村などと聞くと遠く感じるが、実際にはすぐそこにあるのである。

私は、不可逆な事象を生み出してしまうものに対しては否定的だ。たとえば、ある種の生き物を絶滅させてしまえば、それは二度と復活しないし、一度つぶした森林や田畑は、簡単には復活しない。それと同様に捉えていいかという疑問はあるが、一度生成された放射性元素は、別の元素に遷移させるか、あるいは半減期を経て無害な元素に変化するか、それを待つしかない。だが、別の元素に変化させるには、また核融合だの核分裂だの、危険な技術が必要なのだ。また。半減期は短いもので数日、長いもので何十年だ。とても待てるものではない。

「覆水盆に返らず」という言葉がある。ひっくり返してこぼれてしまった水は、二度と元の盆には戻らないということだ。不可逆とは、そういうことをいう。こういったことには、我々は慎重でなくてはならない。何しろ、元に戻らないのだ。科学技術を駆使し、何人もの技術者が徹夜しても、どうにもならないことがある。そういったことが起きる可能性があるということは、常に頭の中に置いておかなければならないと思うのだ。

経済の世界では、やたらと「トレードオフ」という言葉が出てくる。つまり、損しても得する部分が多ければ、その損する部分には目をつぶろうよ、という発想だ。だが、損する部分が自分や家族の命だったらどうするか。とてもトレードオフなどといってはおれまい。0か1の世界である。

CO2削減のお題目で原発の優位性が強調されているが、自分の命を担保に電気を作っている、そんな発想を持っておかなければならないだろう。

コメント

  1. 野の花 より:

    チェルノブイリ原発事故、記憶に鮮明です。連日、放射能汚染について、数は不確かでもたくさんの人が亡くなったことなどが伝えられました。私もその事に衝撃を受けて、新聞の投稿欄に投稿したくらいです(笑)。今、島根半島にある鹿島原発の第3号炉の建設が進められています。私の家のそばから島根半島はすぐそこに見えています。その海の向こうには危険な国も存在します。私もすぐそこにある危険に、時々不安がよぎっています。

  2. なおさん より:

    野の花さん、
    当時の報道はけっこう活発だったようですが、今、同じことが起きても、報道がさらに恣意的にコントロールされる、なんてことになりそうですね。
    それにしても、松江市のあんな近くに原発があるなんて知りませんでした。ちょっと前に静岡県沖で地震がありましたが、浜岡原発が石廊崎近くにあるなんてことを知っている人が周囲には少なかったのがちょっと怖かったですね。