沈まぬ太陽(御巣鷹山篇)―山崎豊子

山崎豊子さんの長編、「沈まぬ太陽」から、「アフリカ篇」の続編で「御巣鷹山篇」です。一定以上の年齢の人であれば、「御巣鷹」(おすたか)という名前は忘れられないものでしょう。この作品は、その「御巣鷹山」の事件を取材して、小説に仕立てられた作品です。

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫) 文庫版

この物語の主人公は、「国民航空」の社員である「恩地元」(おんちはじめ)です。彼は、ひょんなことから労働組合の委員長をやる羽目になり、会社と闘ったことで報復人事の憂き目に遭います。そのためにカラチ、テヘラン、ナイロビと10年の間僻地に飛ばされます。このあたりは「アフリカ篇」(文庫版で2巻)を読んで下さい。

日本に帰ってきた恩地元は、いわゆる窓際族ということで店ざらしのような状態に置かれます。しかしそこで起きたのが、1985年、日本航空123便東京発大阪着ジャンボ機が、群馬県上野村にある御巣鷹山に墜落するという事件です。

そうです、このお話は、「アフリカ篇」と同様に「国民航空」とぼかしてありますが、実際は日本航空の事件をそのまま(取材に基づき)構成してあります。そのため、お話は非常にリアルです。本の注意書きにもあるように、被害者やその家族の方の一部は、実名にて登場しています。これが、日本航空の怒りを買ったのも頷ける話ではありますが、510名の死者を出した史上空前の航空事故の当事者としては、怒っている立場ではないでしょう。

「アフリカ篇」では、組織の傲慢さが前面に押し出されていました。体制に刃向かうものは容赦しないという組織の傲慢さと、一人一人は小さな人間であるはずの上司や同僚らの、体制側に属しているということだけでそこからはみ出る人間を蔑む傲慢さです。

この「御巣鷹山篇」で前面に出ているのは、組織のエゴでしょうか。エゴとは、言うまでもなくエゴイズム、利己主義のことで、要は自分本位ということです。事故を起こした国民航空の上層部が、物語とは言えこれまでにないエゴを前面に押し出してくれます。自分の地位や今後のこと、会社が不利にならないようにするための小細工、そんなものが見苦しく全編を覆います。

このエゴとは対称に、自分を捨てての活動に打ち込む恩地ら現場の社員、警察・自衛隊などの救出チーム、事故調査委員会の面々、遺体の検死や処置にあたる医師や看護師といった医療チームのかたくなさには、いくらお話で誇張されているとはいえ、心打たれるものがあります。猛暑と異臭の中、自らの死も覚悟しながらの行為には、同じ人間でありながらなぜにこのように行動が変わってきてしまうのかといった違和感さえ覚えます。

史上空前の航空事故でしたから、被害も甚大です。生々しく描写される遺体の状況は、覚悟がなければ読めません。さっきまで一人の人間として生きて呼吸し、話し、動いていたものが、一瞬で物言わぬ物体に変わってしまう。特にこどもの遺体の描写は、涙なくしては読めません。そしてそれを整体する看護師さんらのことも。極限に近い状態で、それでも、いや、だからこそ自分の使命を全うするという心が感動的です。

実際には、感情ゆたかにといった描写ではありません。非常に淡々とした描写ではありますが、私自身が勝手に行間を読んでしまっているのでしょう。事故にあったであろうこどもを迎えに行くために、下着とスニーカーをリュックに詰めて家を飛び出す母親の話には、涙が止まりませんでした(涙もろいのです)。

エゴといえば、500人を超える死者を出した事故の当事者とも思えない行動を上層部はとるのですが、この500という数値はあくまでも事故を起こした側から見た数値であり、事故にあった側からすれば1だろうが100だろうが500だろうが変わらないのです。そのような事実を忘れてはなりません。500人を死なせてしまったいうよりは、500を越える未来を屠った、またその家族、親族を合わせて下手すれば数千の人間の未来を屠った、とも言えるでしょう。そのようなことを自覚、あるいは想像できない人間には、運輸機関のトップを務める資格はない、とも思えます。

ここまで書いて思い出すのは、2005年4月に起きたJR西日本福知山線脱線転覆事故でしょう。ここでも、106人もの死者が出ました。ちょこっと考えると、非常に「日本航空」と「JR西日本」の企業体質は似ていた、ということに思い至るのではないでしょうか。まずあるのは、非常に内向きな組織であるということ、何かするにしても、それは顧客のためではなく、自分たちのためのものである、ということです。それが行き過ぎて事故を起こす、しかもトップは自己弁護に走る、こんなところも同じです。探せば、ほかにもあるでしょう。

長く書いてしまいましたが、またも「見てきたような」綿密な取材に基づく、事故が起きるまでの状況、事故現場の描写、検証作業などは非常にテクニカルかつ専門的で、これが単なる「お話」に終わらせない説得力をもたらしてくれます。ボーイング社などは実名で出てきます。また、当時の日本航空の社長や運輸大臣なども誰のことだかはっきりわかります。

事故原因解明や「国民航空」の建て直しと言った続きは、「会長室篇」に続きます。それはこれから読むのですが、果たして恩地は「国民航空」を本来向くべき方角に向けることができるのか?事故原因は解明されるのか。非常に楽しみですが、それにはまた何ヶ月もかかるのでしょう。

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