今夜は、子どもの誕生会で、久しぶりに焼肉を食べに行きました。こういうときでもなければ、年に1回くらいしか焼肉など食べないのですが、たまに美味しいお肉を食べるのはいいですね。
ちなみにこれは肉ではないです。私の好きな野菜のナムル、8種類です。
焼肉を食べるとなれば、ここのところ世間を騒がした、生肉食中毒事件を思い出さずにいられないのですが、これで焼肉は避けようとか、生肉は避けようとか、これって原発絡みの話と根っこは同じですね。
肉の出荷元と、焼き肉店の不手際というか不誠実、怠慢で、命を落としたり重体になった方々は不運としか言いようがありません。こればっかりは、安全な食べ物を送り出す側にすべての責任があるというのは言うまでもありません。
対価をもらい、万全を期したものを提供するのは、責任です。ただ、それはあくまでも建前(言い方が悪ければ努力目標)です。そうは言っても漏れもあるだろう、失敗もあるだろうという前提で臨むのが、本音(言い方が悪ければ現実主義)でしょう。
あの安価な生肉は、果たして安全なのだろうか?安いからには、何かどこかで妥協している部分があるのではないか、ということを考えるべきでしょう。スーパーなどで、異様に安くものが売られている場合、その理由に思いを侍らす必要はあるでしょう。決して、好意で安く売られているとは思わないことです。
原発事故による放射性物質の放出で、各地に放射能が高い部分、作物で高い放射能が検出された、ということは事実です。それは、現実として冷静に受け止めなければなりません。ただし、それがたまたまなのか、周辺全般に起きていることなのか、特殊な要因なのか、それとも一般的なことなのかは見極めねばなりません。
茨城県沖のコウナゴで高い放射能が検出されたといっても、コウナゴは海面ギリギリに移動する魚類で、比較的水深のある部分を移動するサバやアジなどとは違います。また、比較的大きな魚類は頭部や内臓を除去された上で測定されますが、コウナゴなどは全部です。サバやアジは頭は食べないよ、という理由ですが、果たしてこれでいいものかどうか。
考えなければならないことはたくさんある、これだけ複雑になってしまった世の中では、至極当然だということを納得せねばならんでしょう。複雑なメカニズムで便利にはなったが、その便利さに身を任せていると、とんだしっぺ返しを喰らう、ということでしょう。個々の人間の能力など大きく伸びているわけでもないのに、背負わなければならないものはどんどん大きく膨れあがっているというわけです。
例によって話は大きくなってしまいました。美味しいお肉や野菜を食べながら考えることでもないですが、そんなときでも考えなければならないことが多い世の中というのが、文字どおり世知辛いというか、そんなところまできているということではないでしょうか。
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