今日は、何年かぶりで、昔にある仕事で協働した方と会食しました。10年近くアメリカで働き、最近帰国されたのですが60代半ばというのにエネルギッシュに活動しておられます。
そもそも某大手自動車メーカーから関連会社に移り、そこを退職してプロフェッショナルとしての腕を見込まれてアメリカの某企業で雇用されたのですが、帰国してからはその企業の日本拠点を任されるということで、休む暇もないようです。
ノベルティグッズ、もらいました。VICTORINOXのアーミーナイフ(ミニ)です。
自動車メーカーの出身でいらっしゃいますから、車好きにとってその手の面白い話はたくさん聞けるのですが、もともとの協働があるソフトウェアの開発ですから、話の原点はそこに移るわけです。
聞けば、今のモノ作りはとにかくソフトウェアが大事だから、日本のデキル開発者を探し出したいということ。たとえメカが絡んでも、設計でも制御でも今はとにかくソフトウェアだから、ソフトウェアの出来が製品の出来を左右する、ということのようです。
私自身が優秀なソフトウェア技術者ですので、暇であれば私をぜひ紹介したいところなのですが、現在は出版関係者として離れるわけにもいかず、紹介できそうな付き合いのあるところを少しイメージしてみたりしてみたのです。
もし、今の勤務先をリストラされれば、ぜひに私を!と逆にセールスしてみたりもしてみたいものです。
私が出版業界に関わってから30年近くなりますが、もともとは自分の持つ技術を文章化し、誰かの役に立てればと思って始めたものです。当時、明文化された技術は貴重でしたから、それなりの需要がありました。
私のモノ作りの原点は、そこにあるのです。
途中、本物のソフトウェア開発に10年ほど関わり、そしてまた出版に戻りました。その後に編集者として出版に関わっていてわかることは、編集者は本作りの中心にいながら、決して主役にはなれない、ということです。
そんなの当たり前では、と思うのですが、中心にいながら自分の裁量が恐ろしく低く、ヘタすればただのコーディネーターか利害調整者に過ぎないという立場は、自らが創造者であり発信者でありたいと思う場合には、非常に欲求不満になるのです。
こういうときに、ソフトウェア技術者として自分の持つ技術でゼロから価値を創造したい、という欲求には心が動きます。もちろん、まったく自分の自由になるということはないのですが、まったく作業の性質が異なる、と思うのです。
果たして、自分は何がやりたいのか、何をすれば大きな価値を世の中に提供できるのか、そういった自分のミッションを再確認するよい機会でした。
毎日、同じ場所にいて同じ作業をしているとその世界しか見えなくなるものですが、まったく違った価値観や世界にいる人と少し触れるだけで、自分を客観的に見直すよい機会になると感じた次第です。
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