「粛々」「粛粛」が物議を醸し出している、ようだ。でもまぁ、正しい用法をした人に、正しく理解していない人が噛み付き、正しく理解していても知らないふりをしている人たちが煽っている、そんな構図に見える。
それについては深い嘆息とともに考えるとして、「粛々」「粛粛」の意味を再確認してみよう。
以下は、ATOK 2015や一太郎2015についてくる国語辞典シリーズ。「新明解国語辞典」にはシンプルに書かれている。
お次は「大辞泉」。3つの意味が書かれているけど、どこにも「上から目線」的な意味はないぞ。
最後は、「三省堂国語辞典」。これがもっとも今回のやりとりの意味に近いのではないか。「何が起こっても、予定どおり着実におこなうようす。」ぴったりではないか。あの人は、このような意味で口にしたに違いない(とブログ主は見る)。
さて、どうしたら「上から目線」みたいになるのか? それはおそらく、物事に動じず着々と仕事をこなす人を見て、なんだか鬱陶しい、偉そう、いい気になっている、みたいな感情を持つのに似ているのではないだろうか?
つまり、その人はそんなことを思っていないのに、「何さ、仕事ができるからっていい気になってさ!きー」みたいな逆恨み的な感情から、その人が「粛々とこなしますよ。」と口にした瞬間、「何さ、偉そうに!」というようになってしまうのではないかと邪推する。
まぁああいう世界の人は、こういう間違いもあるだろう。だが問題は言葉を商売にしている人たちまでが一緒になって「けしからん!」とやっている構図だ。もっとも、知っていてやっている確信犯ではないかと、ブログ種的には思っているのだが。
言葉の間違いより、むしろこっちの方が問題だ。と思う。
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