鉄道人身事故で「日本人は終わっている」の一言

マイ列車とも言える東急田園都市線、その混雑ぶりはもちろんのこと、いろんな理由でしょっちゅう遅延したり止まってしまうことで有名だ。この日も、平日朝6時台に発生した人身事故で、1時間半くらい特定区間で運休、前後の区間で折り返し運転、ということになっていた。

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ブログ主といえば、利用駅が運休区間のど真ん中ということもあって、下手に動かず自宅で業務をこなし、運転再開して混雑も落ち着いたころに出社、といういつもの方針で臨んだ。

そういえば以前、古い知人と呑んだ際に、総武線や中央線の人身事故はなぜ多いのか、という話になった(けっこう鉄道好き)。そのときは、JR東日本の怠慢だとか、そういった技術論に入っていったが、ふと彼が漏らした言葉が印象的であった。

人身事故ってね、人が死んでいるか、怪我しているわけですよ。

でも事故が起きて迷惑だなって、これって日本人は終わってますよね。

グッときた。

かくいうブログ主も、人身事故で列車運休という知らせを聞くと、事故に遭った人より迷惑感の方が最初にくる。あるいは、運休区間を徒歩で強行突破したり、自家用車での移動に切り替える人で道路が大渋滞するといった風景を、イベント的に捉えてしまう。

だが、彼の言うように、人が死んだり、怪我しているのである。それを救護したり、後始末をしたり、現場検証をしたりする、鉄道関係、消防関係、警察関係の人も大変なのである。だが、なかなかそういったことには頭が及ばない。

関連して、急病人救護というのもある。これも、ある人が具合が悪くなって乗っていられなくなり、自力か他力で救出されているのである。だが、その知らせを聞くと、やっぱり同様の感覚になる。これも、彼の言葉を借りれば、日本人は終わっている、ということになるのだろうか?

記号としての「人身事故」や「急病人救護」で、あえて無機質な方向に持って行ってリアリティを薄くする、というのもあるだろう。確かに、「ホームから落下して轢死しました」「貧血で倒れたお客様がいらっしゃいます」では臨場感があるし、そんなこと聞きたくない!という人も多いだろう。

だが情報が記号的になるにつれ、反応も直接的になるような気がする。これって果たしてどうなのかなと、彼の言葉を思い出して考えてみたのだった。

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