今日、中学生の子供の期末試験の結果が帰ってきたとかで、話を聞いた。何でも、社会科がいまいちだったとかで、よく聞いてみると、「両性具有」で問題となっている選手の出場国はどこか?みたいな問題が出ているらしい。さらに聞けば、「政権交代!」のスローガンのもと、ああだこうだといろんな問題が出たらしいが、さすがにそっちはマークしていたらしい。主旨は、「もっと世の中のことに目を向けよう」と言うことらしいが、ちょっと違うのではないだろうか?
職場でも似たような話がたまたまあって、「部落解放同盟」のことに話が及んだ。3人で話していたが、1人がまったく話に関われない。聞けば、何のことかさっぱりわからないという。その彼は、36歳である。いいかげんにいい歳なのだが、そういうことをまったくわからない、知らないでいるのはどうかと。いや、彼が悪いのではなく、教えない周囲が悪いのだ。
私は幸い、そういうことを知る機会に恵まれたので、掘り下げていろいろなことを自分から知ることができたが、そうでない人は多数いるはずである。幼少時には、近くに「朝鮮部落」と呼ばれる一帯もあり、祖母からいろいろな話を聞かされた覚えもある。中には偏見めいた話もあるが、あとから考えれば至極自然という話もあり、考えさせられるきっかけとなった。
個人の信条としては、過去なしに現在はない、と言うことがある。今の世の中に起きていることも重要だが、過去を知らずに現在を語ることは、土台を語らずに家の設計を議論しているに等しい。何事にも、基盤となる考え方があり、現在に起きていることは過去の延長である。だから、過去を知れば現在を知るよい機会になるはずなのだが、上っ面の出来事だけを舐めていてもしようがないだろう、と思う。
歴史は、古代や中世よりも、近代を教えるべきと思う。特に、明治維新以後、第二次世界大戦を経て、現在に至る過程である。確かに、古い時代のことは新しい事実も現れず、また利害も絡まないので話としては面白い。近代のことを語ろうとすると、いろいろ難しいことがあるのもわかる。だが、現代に最も近い近代を学ばずして、古代を知ることに何の意味があるのか。
話が大げさになったが、今の教育の薄っぺらさと、今の日本をねじ曲げている何かが垣間見えたような気がして、ふたつのエピソードを書かせてもらった。ここんとこ、危ないネタが続いているが。
コメント
さらにヘビーでディープな話ですね…。
部落問題は私も30過ぎて初めて知ったというか…
たまたま会話の中で「童話」から「同和」に話が飛躍し、
何も知らなかった私はその後ネットで調べたという…。
そして思ったのはやはり、誰かの犠牲の上に成立つ幸せなんて
所詮まやかし、という事ですね。
本当の幸せを求めるなら、
(一見自分に関係無いと思ったとしても)今まで虐げられた
人達の苦労を少しでも知った上で今を感謝し生きていくべきかと。
過去現在未来の因果律は否定できないものですし、
どんな因果関係があるかなんて想像もつかない事ですから。
この辺を教えない日本の教育は確かに懐が浅いというか
哲学がないというか…。
7さん、
こういうネタも、ここらヘンにしておかないと、危険人物と思われてしまいますね。
歴史というのは、誰かが何をやったとか、どこかで何が起きたとか、そんな風に語られますが、所詮は偶然のぶつかり合い、蓄積という結果論です。そういった謙虚な見方で、過去を伝える。物事を客観視する。教育には冷静な視点が必要、と思うのであります。
とても共感しました。私も昨秋、鳥取県中部の、有名な投げ入れ堂のある三徳山に行って、お寺なのに狛犬や鳥居があるのを不思議に思って、宿坊で働く年若い青年に聞いて初めて、廃仏きしゃくのことを詳しく知りました(かすかに習った記憶もあったような・・・)。部落問題は遠からぬ地に被差別地域があったのと、中学時代に父が「橋のない川」6巻を買ってくれて、1年に1冊ずつ読んで知りました。歴史はとても重要な科目だと思います。日本人のたどって来た道、学校での教科では教え切れないものがありますね。試験勉強のための勉強ではなく、学生に本当に興味を持たせる教育であってほしいと思います。ちょっとズレました(笑)。
野の花さん、
歴史は学校だけで学ぶものではないし、学びきれるものでもないですね。必要なのは、今、ここに至るまでの先人の歩いてきた道のり、それを知り、理解したいと思う気持ちを持つことではないかと。
単なる試験のための歴史学習では、上っ面だけ舐めて、都合の悪いことは知らんぷり、そんな感じになってしまいますね。ちょっともったいないかな、とも思います。