お花見を筆頭に、「自粛」が幅を利かせているそうですね。これには賛否両論あるのですが、個人的には「行き過ぎた」自粛は逆に「自粛」すべき、と考えます。国民全体が喪に服す、という考えも理解できますし、日本を盛り上げるために普段通りの生活を行うべし、という考えも理解できます。
自粛、というと「能動的」なものと捉えられます。意識して行うものですね。世論や世間の空気を気にして、被災地のことを配慮して、行うものです。今言われているのは、まさにここでしょうね。自粛する側の考えひとつなのですから、ああだこうだの議論になるのは納得できます。
読売新聞が、こういったことに異を唱える社説を今日(4月7日)に掲載しました。個人的には、賛同できます。
ですが、「その気になれない」ということもあるのではないでしょうか?人間、前向きな気持ちになれるのは、未来に確固たる展望、希望が持てるときではないでしょうか?むしろ怖いのは前向きの自粛(何か変だな)ではなくて、こういった後ろ向きの自粛ではないかと思います。
何かを買おうと思っていた→やっぱりやめておこう。どこかに行こうと思っていた→やっぱりやめておこう。こういったスパイラルは消費を縮小させますし、それは復興に必要な資金を生み出す経済活動も萎縮させます。過剰な消費は禁物ですが、基盤そのものがダメになってしまっては元も子もありません。
ではなぜ、その気になれないのか。日々報じられるさまざまな出来事、それらについて「こういった考えでこういうことをやっており、今後はこうしていくつもりだ。」という明確なメッセージが見えないからではないか、という気がします。たとえば、避難した子どもが遠隔地の学校に転入したという報道を見ると、こういう状況は文部科学省としてどのように改善しようと思っているのか、そういったことが傍目にはわかりません。
同じようなことは、交通インフラの国土交通省、原発では経済産業省、医療や介護については厚生労働省など、それぞれに大将がいるのですから、もっと能動的に動けばいいのに、と思うのは私だけでしょうか?それをまとめるのが官邸であり、首相でしょう。何だか、現場の部隊や自治体・民間に丸投げで、それを見て「いいね!」とかやっているだけではないか?という気もします。
それに、聞こえてくるのはダメさ加減、無責任さといった話ばかりで、これで希望を持って奮い立て!と言われても、それは無理な相談と思う人が出てきて仕方ないでしょう。
窮地に陥った組織が立ち直るには、まずはすぐれたリーダーが組織全体の意識を一方向に向かせることが必要です。人事や組織をいじくるのは、その次です。もちろん、いじくるにしても、それが理にかなっている必要があることは言うまでもありませんが。
コメント
「お花見自粛」は石原都知事が言い出した事と認識していますが、
これは「例年みたいにバカ騒ぎはやめようよ」というのが本意ではないのかと思います。それをマスコミがわざと言葉尻だけ報道、という一部報道側の悪意が感じられます。
ちなみに「天災」発言についても同じ印象があります。
石原さんを嫌う勢力の嫌らしさを感じます。
でも今回のなおさんの記事のように、
「自分で考え、判断し、行動する」という能動的な人が、
皮肉にも今回の震災を機に増えてる気がします。
上記した嫌らしい勢力に対して「日本人をなめんなよ!」って思いますね。
個人的には「お花見」はやるべき、ただしその際被災地の方々に僅かでも思いを馳せ、
「今花見が出来る事に感謝する」という「心」が大事なんじゃないかと。
CMでもやっていますが「心は見えないけど、心遣いは見える」みたいな。
追伸:
ダメな現リーダーは3/11の原点に戻って、
「外国人からの献金問題」で引きずり降ろし、
政権を取り戻すべきですね。
当然「今はそんな事やってる場合じゃない」って意見もあるとは思いますが、
今のままだとどこまでも被害が拡大するだけ、
一見遠回りでも民党の方がまだマシな対応をすると思うんですよ。
更に言うなら、自衛隊を味方につけてのクーデターでも良い位。
更に言うなら、国際原子力機関に強制監査に入って欲しい位。
多少のプライドを失おうとも、
これ以上世界中に迷惑をかけたくはないっす。
7さん、連投コメントどうもです。
残念なことですが、こういった惨事が起きたときにようやくその正体がはっきりする、ということですね。何というか、違う世界の人たちではないか、という感じがします。そもそも根本的なところでものの捉え方や考え方が違うと、震災直後の電話かけまくりとか、ええかっこしいとか、視察中の居眠りとか、そういう話を聞くと思います。