原稿を書いてみてわかる、著者の気持ち。

ここのところ、週末は決まって原稿書きの日々が続いていた。ん?あなたは編集者でしょう?なんで原稿を書いているの?という疑問はごもっともだ。でも編集者だって原稿を書くときもあるし、ブログ主の場合はライターあがりなので、よけいに原稿を書く機会が多いのだ。

原稿書きが集中していたのには理由がある。今、期末(3月末)に向けて投入予定の本はシリーズもので、そもそも自分で書いたもの。その後、自分だけではどうしようもないと思って仲間を募って分散したが、それでも自分が書く部分が残っている。しかも、その部分が今回はかなり改変が必要な部分で、かなりの時間をかけて調査、執筆を繰り返していたのだ。

それが、今日、ようやく終わった。新しいものに触れる楽しさと、時間との戦いの苦しさのバランスだったのだが、なんとか終わりが見えてきてホッとしている。反面、編集者の立場を離れて著者の立場に立ち、これはそのへんの編集者には経験できないよなぁという優位性も感じている。ハハハ。

編集者から見れば、著者は原稿を催促し、取り立てる対象である。契約や約束に基づいて取り立てるが、著者も人間、そんなに簡単にはいかない。何しろ、製造工場のように原料を投入して決められた手順を回せばできるというものではない。ここが、著作のもっとも難しいところだ。

しかも、著作には2種類ある。自分の頭にあるものを吐き出すスタイル(ビジネス書によくあるスタイル)と、リサーチ(調査)を必要とするスタイル(理工書によくあるスタイル)だ。前者の場合、悪く言えば、自分の思い込みを酒でも飲んだ勢いで、「えいや〜」と書きなぐればよいので、時間が問題になることはあまりない。逆に、品質が問題になることはよくあるが。笑

後者の場合、対象のテーマや時期に応じてタイムリーなものにするために、それ相応の調査や検証を必要として、時間がかかることが多い。ブログ主の場合がこのケースで、調べては書き、検証しては書き、誤りを指摘されては書き直し、という感じでものすごく時間がかかってしまった。

だから、そういうテーマを扱う著者には、いたずらに催促したり、プレッシャーをかけたりするのは無意味だと感じている。もちろん、人間である以上、そういう要素は必要だ。しかしそれ以上に、相手のしていることに対するリスペクトや理解が必要なのだ。それがあれば、相手も自分も頑張れる。

だが、今日、思った。一緒に同じテーマに向かって頑張っている仲間がいる場合、その仲間に自分も貢献しようという気持ちが重要だと。しかも、その瞬間、その仲間も頑張ってくれていた。そうわかったら、自分も頑張れた。結果、同じタイミングで仕事をフィニッシュできた。なんたる素晴らしいことか。

こういうことは、「脱稿」とか「納期」とか「進捗」とか表面的な言葉でしか語れない輩にはわかるまい。そういう連中のために時間を割かねばならない立場が恨めしいが、いずれは離れるつもりだ。残り少ない仕事人生、何にもっとも力を注ぐべきか?そういうことを考えていたら、ここのところの仕事でそういうことが見えてきたような気がする。

ライターとエンジニアとエディターとマネージャというハイブリッド人間の特性を生かして、もっと良い仕事をしていきたいと思った休日であった。休んでいないけどね。これからはファザーとハズバンドの役割も改めて強化していかなければ。頑張ろう。

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